2013年6月3日月曜日

日本イスラム協会公開講演会「マグリブ・アンダルスの歴史と社会」その1

2013年6月2日東京外国語大学で、日本イスラム協会の主催による公開講演会「マグリブ・アンダルスの歴史と社会」が開催されました。講師は北海道大学の佐藤健太郎氏と神戸大学の齋藤剛氏で、60人強の聴衆の前でそれぞれ1時間ほどの時間を使っての議論となりました。
先に佐藤氏の「ジブラルタル海峡の北と南 ~イスラーム期のスペインとその対岸~」について内容をまとめてみました。
なお齋藤講演はこちら

佐藤講演はジブラルタル海峡を挟んでイベリア半島とアフリカ大陸の両岸の関係を、特に13-14世紀の人的・文化的交流を中心に論じた。
アンダルス=イベリア半島の特にムスリム支配地域
マグリブ=アフリカ大陸北西部の、特に現在のリビア西部からモロッコを中心とした地域
最初にジブラルタル海峡が最狭部で約15キロと、日本の津軽海峡とほぼ同じ程度しか両岸が隔たっていないこと、自然環境の上でも共に地中海性気候に属し、小麦や果樹栽培を主とする農業が営まれていることを確認した。そしてこの海峡が歴史的には「zuqāq=道、隘路」と呼ばれ、またアンダルスからマグリブを見て「`udwa=対岸」と呼んだり、双方を合わせて「`udwatān=両岸」と呼んだりする例もあることを紹介した。

次いでマグリブ・アンダルスを代表する14世紀の知識人イブン・ハルドゥーンの生涯を軸に、この時代の知識人と文化の交流について議論を展開した。
マグリブ・アンダルスでは13世紀前半この地域を統一支配していたムワッヒド朝の崩壊により、マリーン朝、ザイヤーン朝、ハフス朝、ナスル朝の四王朝が分立する自体となった。そしてこの事態に伴うムスリム側の政治的混乱・弱体化をついて、キリスト教徒諸国家(カスティーリャ、アラゴン、ポルトガル)による大レコンキスタが進展し、アンダルスの主要都市が次々と陥落していった。
イブン・ハルドゥーンは1332年チュニスに生まれ、マグリブ・アンダルスの各地を遍歴して学問修業や宮廷への出仕をした後、1382年以降はカイロに移住した。その主著『歴史序説』は近代の社会科学を先取りする作品として名高い。

この時代知識人たちは、イブン・ハルドゥーンのように学問修業や宮廷での出仕を求めて、海峡を往来していた。これは両岸に同じ文化的土俵があったことが前提となる。具体的には法学、スーフィズム、ハディース学、韻文・散文学といった学術を両岸の人々が共通して学んでいたことである。このような知識人の例として、マグリブのセウタ生まれでナスル朝に仕えたイブン・アブドゥルムハイミンやアンダルスのマラガ出身でマリーン朝に仕えたイブン・リドワーンといった人物がいる。そして高名な知識人の名声は海峡を越えて伝わり、マリーン朝の君主がアンダルスの高名な知識人との会見を熱望するという事例も見られた。
また、イブン・ハルドゥーンとグラナダを代表する知識人でナスル朝の宰相でもあったイブン・ハティーブのように、海峡の両岸で文通・著作の交換を行う例もあった。両者はイブン・ハティーブの君主であるムハンマド五世が1539年マリーン朝宮廷に亡命した時から交流があり、一時仲違いするものの、その後関係が修復し、文通が始まった。この関係はイブン・ハティーブがグラナダを出奔しマリーン朝宮廷に亡命した後、ムハンマド五世の圧力で処刑されるまで続き、イブン・ハルドゥーンはその執り成しに尽力している。なお、交通や通信が未発達の時代、文通は巡礼者や短距離の旅行者、共通の知人などを介して行われていたと考えられる。
この様な人的交流だけでなく文化活動でも、両岸で流行の共通性がみられる。その例として建築様式の流行や、宮廷行事としての預言者生誕祭の広まりが挙げられる。イブン・ハルドゥーンはグラナダでの預言者生誕祭について、これがマグリブの王たちに倣って行われるようになったと説明している。

またレコンキスタの進展によって、マグリブ社会ではアンダルスからの移民が活躍するようになった。ハルドゥーン家(=イブン・ハルドゥーンの一族)もその一例である。この一族は8世紀以来セビーリャの名族であったが、13世紀ハサンと呼ばれる人物の代に、この町がカスティーリャによって陥落する直前セウタへ移住した。この頃チュニジアを支配していたハフス朝の君主は、元セビーリャの統治者であったため、ハサンはさらにチュニスへ移住し、この君主からから厚遇された。息子ムハンマドは宮廷に出仕して王国の財務行政の責任者となった。その息子のやはりムハンマドは軍人として重用されたが、のちに学問と信仰を中心とした生活を送るようになった。その息子のやはりムハンマドは宮仕えはせずに学問と信仰の生活を送った。その息子が『歴史序説』の著者アブドゥッラフマーンである。
このほかにもアンダルス移民の中には、宮廷人・軍人として活躍したり、イブン・ハルドゥーンの師匠であるイブン・ブッラールやアービリーのように知識人として活躍した者がいた。

この様に佐藤講演は、ジブラルタル海峡の両岸の人的・文化的交流の諸相を明らかにし、最後に現代のモロッコで「アンダルス音楽」という名前で呼ばれる音楽の演奏会の様子を映像で紹介して終了した。また、文化交流の一端として、セビーリャのアルカサルに見られるペドロ一世の宮殿のように、アンダルスのムスリム文化の影響がキリスト教国家まで及んだ例も紹介された。ただしそれは特異な事例に留まり、またこのペドロ一世に対する政敵のネガティブキャンペーンに、彼がムスリムやユダヤ教徒を厚遇していることが挙げられたことからして、リスクの大きい行為だったと考えられるという説明がなされた。

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