結論(23)
カブリーは、IIIで検討してきたマフザンの儀礼の発展についての手がかりが、個別の指標として、資料体として意味することは何かを問い、以下の3点を挙げる。
・絶対的で半ば独占的に個人に属する、同一の権力の象徴体系を参照している
・特異な記号なり横断的な振る舞いなりを構成しているが、いずれも描写的な価値しか持たない
・君主について受容されているイメージと実際のステータスを同時に把握しようとする
君主のイメージとステータスは、絶対的で無制約なものと同化(≒神権的な性質の付与?)し、マフザンのバージョンによって、アミール、イマーム、カリフ、スルターンといった人々によって人格化される。君主がこのような様態で神権的な性質を帯びることは、権力の悲劇的な性格を証明している。なぜなら、この権力のシステムにおいて、君主は、神権的な正統性に依拠し、秩序と信仰とアサビーヤの名のもとに、決定権の独占を承認される。しかし、このアサビーヤという要素が、マフザンがもともと部族同盟であり、それは闇取引や均衡計画をもたらす隠れた対立を、常にはらんだものであることを明らかにする。この結果、一見堅固な一枚板に見える君主のステータスは、神権的な正統性を帯びた絶対的な決定権保持者であると同時に、共同支配者たちの前に現れて結束を確認する必要のある、部族同盟の一員でもあるという矛盾をはらむのである。
カブリーによれば、君主はマフザンのシステムの制約に従うことを余儀なくされる。そしてこの制約は、部族同盟的な性格が支配的な神権政治の一環として書き込まれた、管理の様式に起因しており、暗黙のうちではあるが、常に存在している。そして君主は、専制君主的な侵犯の余地を確保するため、これらの制約を超えた存在であるように見える必要があるという。このことをカブリーは、ミラーゲームと呼んでいるが、その明確な意味は不明である。ただ、儀礼によって強調される専制君主的な外見を維持しながらも、中世の特にマリーン朝のマフザンが、その時々の状況に応じて同盟者を選択したことを意識しているのであろう。そしてマフザンのシステムは、この共同支配者にも隷属する社会に対しても、現実主義と厳格さの双方を発揮していた。それゆえに、回帰的なデータが重要性を獲得し、教説的な特徴、政治的実践、儀礼的な性格をもった伝統といった形で伝播されていく。全体として、このシステムは、政治-宗教的二極性をもったものから、その逆の統一的なものに変化していき、「中世」の終わりには、比較的折衷的なアプローチを取るようになった。
最後まで論理がよく把握できないが、おそらく次のようなことが言いたいのだと思われる。
マフザンの儀礼の発達は、君主個人に神権的な外観を与えたが、マフザンから部族同盟的な性質を抽象することには成功しなかった。そのため君主は、その部族同盟の一員としての立場と、絶対的な専制君主としての立場との矛盾を抱えることになる。これは、マフザンの権力の持つ悲劇的な特徴ではあるが、しかしこの矛盾から生ずる制約ゆえに、マフザンは、同盟を結ぶ共同支配者を注意深く選択したのであり、政治と宗教において独占的で排外的なものから、次第に統合的で折衷的なものへと変化していった。
ただし、この変化はムワッヒド朝からマリーン朝にかけては妥当かも知れないが、ムラービト朝のマフザンの位置づけが困難になるように思う。
なお、「教説的な特徴、政治的実践、儀礼的な性格をもった伝統といった形で伝播」というくだりについてはやはりよく分らない。
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